事業承継を一挙公開
われわれの行動の指針となり、われわれの行動は事件の展開に影響を与える。
状況はわれわれ(および他の人々)がなにを考えるか、いかに行動するかによって変わってくる。
われわれの参加する事件は、われわれの思想の真実性または虚偽性を判断する、なんらかの種類の独立した基準にはならない。
論理の法則によると、論述が真実であるのは、それが事実と一致する場合であり、その場合だけである。
しかし、思考する参加者が存在する状況においては、参加者が考えることと無関係に事実が発生することはない。
事実は参加者の決定の影響を反映するからである。
このため、事実は論述の真実性を決定する独立した基準にはならないかもしれない。
われわれの理解が本来的に不完全だという理由はそこにある。
これは難解な哲学的問題ではない。
目の前にいる牛に背を向ければ、その牛は存在しなくなるのか、などという哲学者バークレーの設問に匹敵するような問題ではない。
決定を下そうとする時、思考と現実の間に本来的な不一致がみられるのは、事実が将来とある程度かかわりをもち、しかも参加者の決定によって変わってくるからである。
この不一致は、世界を現在のようなものに作り上げた重要な要因である。
われわれの思考に対しても、われわれの参加する状況に対しても、これは深甚な影響をもたらす。
この影響は、第二章でみるように、普通の経済理論では故意に無視されてきた。
ここで指摘しておきたいのは、社会的事件の参加者は、その決定を下す時点ではしかるべき知識は存在しないという単純な理由から、知識にもとづいて決定を下すことができないという点である。
もちろん、ありとあらゆる知識を奪われているわけではない。
時代を経て蓄積されてきた実際的な経験のほか、あらゆる科学(その価値がいかなるものであれ、社会科学をも含めて)の助けを借りることもできる。
だが決定を下すには、この知識では十分ではない。
金融の世界から分かりやすい例を引いてみよう。
もし科学的に根拠のある知識にもとづいて行動することができるとすれば、別々の投資家が同じ時点で同じ銘柄の株式を買ったり売ったりすることはないはずである。
市場参加者は、天体の運行を予測する科学者のように結果を予測することはできない。
社会的事件に特有の不確定要素が入り込み、結果は予想を外れがちである。
参加者の思考と彼らの参加する社会的事件との関係に対処する最善の方法は、まず科学者と彼らの研究する現象との関係を検討してみることである。
科学者の場合には、論述と事実の間には一方通行的な関係しかない。
自然界に関する事実は、科学者がそれについて行う論述とは無関係の独立した存在である。
論述の真実性ないしは有効性を判断する基準として事実が役立つのは、この重要な特徴によるものである。
論述が事実と一致すれば、それは真実である。
さもなければ、それは虚偽である。
思考する参加者の場合はそうはいかない。
これは双方向の関係である。
参加者は一方で、自分たちの参加する状況を理解しようとする。
彼らは現実と一致する事態を想定しようとする。
私はこれを受動的ないし認識作用と名付ける。
また一方で、彼らは影響を与えようとする。
現実を自分たちの願望に合わせて形成しようとする。
私はこれを能動的ないし参加作用と名付ける。
この両方の作用が同時に働いている状況を、私は相互作用的(リフレキシブ)と名付ける。
私はこの語を、フランス語で主語が目的語になる動詞をリフレキシブというのと同じ意味で使う。
たとえば一画の(私は自分を洗う)がそれである。
両方の作用が同時に働いている場合には、両者は互いに干渉し合うこともある。
人々は参加作用を通じて、認識作用に対しては独立変数となるはずの状況に影響を与えるかもしれない。
その結果、参加者の理解を客観的な知識と見なすことはできなくなる。
そして彼らの決定が客観的な知識にもとづいているわけではないという理由から、その結果は予想を外れたものになりがちである。
われわれの思想と現実が互いに独立しており、両者を切り離しておいても、なんの問題も生じない分野もたくさんある。
しかし、両者が重なり合っており、認識作用と参加作用が互いに干渉し合い、それによってわれわれの理解が不完全になり、結果が不確実になるような分野もある。
われわれが外部の世界の事件について考える場合には、時間の経過がある程度まで思想と現実とを遮断してくれる。
われわれの現在の考えが将来の事件に影響を与えることはあるが、将来の事件が現在の考えに影響を与えることはありえない。
これらの事件は将来のいずれかの時日に、参加者の思考を変えるかもしれない経験に転化するにすぎない。
だがこの遮断も絶対確実というわけではない。
期待の役割があるからである。
将来の事件に対する期待は事件そのものを待ってはいない。
期待はいつ変化し、結果を変えてしまうかわからない。
これは金融市場で常に起きていることである。
投資の本質は将来を予見すること、すなわち将来を「織り込む」ことである。
しかし、現時点で投資家がある銘柄の株式(あるいは通貨や商品)に支払ってもよいと思う価格は、さまざまな形で当該会社(あるいは通貨や商品)の命運に影響を与える。
このように現在の期待の変化が、それによって織り込まれる将来に影響を与えるのである。
金融市場のこの相互作用的関係はきわめて重要であるため、後でもっと詳しく取り上げるつもりである。
しかし相互作用性は金融市場に限らない。
これはすべての歴史過程にみられる。
むしろ、ある過程を真に歴史的なものにするのはこの相互作用性であるとさえいえる。
すべての社会的行動が相互作用的だとはいえない。
平凡な日常的な事件と歴史的な大事件は区別してもよいだろう。
日常的な事件においては、ふたつの相互作用のうち機能しているのはひとつだけであり、認識作用か参加作用かのどちらかは働いていない。
たとえば、あなたが地方選挙で投票するために選挙人登録をしても、民主主義の性質についての考え方は変わらないだろう。
新聞でナイジェリアの不正選挙に関する記事を読み、見方が変わったとしても、ナイジェリアとかかわりのある石油会社の役員か人権運動の活動家でもないかぎり、この国で実際に起きている事態に影響を与えることはできない。
しかし認識作用と参加作用が同時に作用して、参加者の見解も参加者がかかわっている状況も以前とは同じものではなくなる場合もある。
そのような事態の発展を歴史的と呼ぶことが正当化されるゆえんはまさにそこにある。
真に歴史的な事件は単に世界を変えるだけではない。
それはわれわれの世界に対する理解を変え、そしてその新しい理解が今度は世界が動く方向に新たな予測できない影響を与える。
フランス革命はそのような事件だった。
いうまでもなく、平凡な事件と歴史的な事件の区別は同語反復的である。
だが同語反復が啓発的なこともある。
ソ連の共産党大会はどちらかといえば退屈で予測可能な行事だったが、第二十回党大会におけるフルシチョフの演説は歴史的な大事件だった。
それは人々の認識を変えた。
ソ連の共産主義体制はすぐには変わらなかったにしても、この演説は予想外の結果をもたらした。
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